漢方薬のお話(1)


漢方薬の歴史

中国では、先人たちが長い時間をかけて、薬草を、実際に試して、毒性の強いもの除外して、薬効の高いものを集めていきました。

漢王朝の1世紀から2世紀のころに現存する最古の薬草の文献神農本草経が編纂されました。

神農という伝説上の人物が、野山を歩き廻り、365種類の薬草を、実際に試して、毒性の強さを3段階に分類して記録したと言われていますが、実際には、多くの人が別々に、人体で、薬効、毒性を確かめた結果作られてた思われます。臨床試験のうち、健康な成人ボランティア(健常人、通常は男性)を対象として、主に治験薬の安全性および薬物の体内動態について確認するための試験である第1相試験は、この時点で、終了していたと考えられます。

その後、中国では、2種類以上の薬草を混ぜ合わせると、思いもよらない効果が現れることが発見されました。こうして出来た処方のうち効果の高い物が二、三百年の間、蓄積されて後漢末に、張仲景の「傷寒論」という書物に纏められました。日本の歴史では、邪馬台国の卑弥呼が現れる少し前のころです。この頃までに、漢方薬の処方の基本は臨床試験の第二相、第三相を完了してその結果、世に現われたのが「傷寒論」というわけです。

現在広く処方されているツムラなどの漢方エキスの多くはこの「傷寒論」の処方を典拠に調製されていることからも、完成度はとても高い処方詩集です。

日本には、5、6世紀までには朝鮮半島を経由して、中国医学が伝来したと考えられています。5世紀、新羅医師、金武が允恭天皇を治療したことや、6世紀に智聡が医薬書をもたらした記録が残されています。7世紀には、遣隋使、遣唐使が派遣され、中国から直接導入されるようになりました。その後、江戸時代末期まで、改良を重ね日本独自の発展を続けました。

日本独自の発展で、一番画期的な変化は、漢方エキス剤の発明でしょう。現在、我が国では、エキス剤が広く使われています。元々の漢方薬は生薬(薬草など)を水で煮出して、液体として飲むかたちでしたが、製薬会社が、液体の漢方薬を煮詰めてエキスを取り出し、顆粒や細粒の形で、袋に詰めて販売しています。これにより、一定の組成の薬を、手軽に飲むことが可能になり、多くの医療機関で保険適応の漢方薬を患者さんに煮出す手間なく飲んでもらえるようになりました。現在、我が国では、89%医師が漢方薬を処方するほど広く普及しています。

また、米国のFDA(食品医薬品局)にツムラが「大建中湯」を手術の後の腸閉塞の治療薬として申請中で、現在、臨床試験(第三相試験)が進行中です。認可されれば、アメリカで初めて治療薬として認可される漢方薬となります。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)